ソウキョクのはな

つづけ、あすへ、つづけ。

ホクトシチセイ

 

ストレスフルで気づいたら発狂してそのまま上着も着ずに原付で走り出したのが先週の出来事。

最近症状が激しくて相対する性格の自分が二人いるように思う。そういうニュアンスの病気だから仕方ないのかもしれないけれど、なんだろうか、ここまで明確に自覚できる程の波があることが怖い。つまりそれって状態悪いってことに直結しているし。波が激しいとそれに付き合う周りもストレスだろうし、その波のせいでかなり神経使ってるからか過眠がすぎる。

今日は16時間も寝てしまいました。おかげですっきりしたけど。この落差をなるべくなくしたいと思う。

 

さてさて、発狂してついたいつもの場所で泣くだけ泣いて見上げた空にきれいに北斗七星が見えたって話。

有名すぎてあまり好きではない北斗七星がその日だけなぜかすごくキラキラしていた。

こんな夜空を独り占めしているなんてとっても贅沢だなとつぶやいたらちょうど終電がガタンゴトンガタンゴトンと高架線を走っていった。銀河鉄道の夜だ。気持ち的には発狂鉄道なんだけど。

そんな日を超えたら気が楽になった。発散するのも大事である。ということだ。

 

あと1日。長い6連勤が終わります。そして通院。今月からは国保外れて社保になったので1割負担となる。ありがとう税金。色んな人が収めてくれているおかげでこんな体でも生きていれる。ありがとう。

ただ、コロナで苦しい生活の人のために政府が頭捻って打開策を提示してくれたらいいな。いい政策もたくさんあるんだし、悪いところばかりみたくない。国民として国を一緒に支えたいと思う。納税とか納税とか納税とか…。

それは多分おえらいさんの懐にはいったままなんかもしれんけど少なからずはこうやって本当に困っている人のためにも使われている。だからありがとう。私もしっかり納税します。働きます。

 

承服できん。と言いながらも、へぇ、へぇ、へぇ、という大河ドラマみたいに。

 

針と糸

 

自分にはなにもないと思っていた。自分には何もできないと思っていた。

気づいたら病気で薬まみれだった。薬をたくさん飲んで死にかけた。

馬鹿だなって今だと思う。何やってんだよって思う。

そう思えるようになったのは変わったから、

変わったというか成長をしたから、

世界をまた知ったから、世界が広がったから。

 

4月になった。新しく何かが始まる月である。月。

ここしばらく黄砂のせいで月は濁っている。

街も人も空も全部濁っている。

濁ってないものはそこにさく花くらいか。

 

びっくりする。した。自分でも。予想はそこまでしていなかったし。

4月から店の責任者になった。なれた。できるようになった。

小さなことを積み重ねた結果、任せられる人になれた。

 

あんなにも死を望んで生から逃げていたのに、今では生きてさえいればと思う。

コロナで沢山嫌になった。嫌いになった。億劫になった。見たくないものまで見えるようになった。

人の本質みたいなところ。でも、平気になった。だって別にそれは私個人に向けられたものではないから。

コロナであるから故のこと。

飲食店を経営している知り合いが複数名いる。医療機関で働いてる知り合いもたくさんいる。

消毒を受け持つ会社に勤務している兄弟がいる。

なにより、その誰一人として死んでない。死んでないんだ。

 

4月。桜が散った。コロナは存在し続けている。

 

何を思うか。感じるか。どう行動するか。

 

自分がよければいいわけではない。自分には沢山の人が関わっている。悪い意味じゃなくていい意味で。

守りたいと思う。自分とその周りの人を。消毒をしすぎて皮膚が切れて血が出ていて、それがまたしみても

痛いけど痛くない。傷つけるための痛みではないから。守るための痛みだから。

 

明日も世界がいろんな色で溢れるように、そっと目を閉じて明日を待つ。

 

でもひび割れとあかぎれはじみにいてぇえんんだよぉぉおおおおおおおおおおお

陽気と春の空

 

音楽は素敵であり無敵である。つまり無限である。そう思っている。

芸術だって素敵で無敵で、無限である。

 

昔の話、絵を書いていました。まだ手の震えが出だすまでの若かりし頃です。

思いのままに思うままに描いて描いて塗ってそれなりの技術があったんだ。

それなりに一年遅れで美大受かっていたんだ。たけれども、そんなすんなり好きに生きていけることはなくて。

入学金を溝に捨てて、入学辞退。しゃーない。ビンボーだもん。また本気で行きたくなったらいけばいいさ。

そんなもん。そんなもんだった。

 

描きたいと思ったときにはもう手の振えが止まらなくて字すらキレイに書けなくなってた。そもそもキレイってなんだ。

ちょっと考えた。というかひらめいた。手が震えていてもキーボードは打てる。

 

つまり、文章は書けるのだ。書こうと思う。そんな気分。

 

桜がさいたから、何かをまた始めてみようかな。ってなるのは桜シンドロームか。サザエさんシンドロームみたいなもんか。

なんか始めないとだめみたいな、でも何始めたらええねんてな。

 

簡単やった。自分にできることをしたらいい。今年一年はホンマに自分の勝負の年。私の身の振り方で家族や仕事、大好きな人とのことも大きく変わってくるんやとはっきりわかった。

 

とりあえず、毎朝の処方薬はちゃんと飲む!!!!

眠りの中で感じた絶望

 

一年に一度咲く花が桜でも梅でもひまわりでもコスモスでもなんでもいいけれど、毎年必ず咲くからといって毎年同じように見れるとは限らない。心はいつも東尋坊か富士の樹海にいる。

 

夢だ。夢だ。それはただの夢。有るはずがない。起きるはずがない。ただあまりにも鮮明で生々しく痛々しい夢だった。

時たま処方薬の副作用でひどい悪夢をみる。しかも、現実と夢との境がわからなくなる。なかなか作用が切れないからだ。

 

先週追加で出たブツは国内で1件では有るが死亡例があるよく解明されていないものだ。おかげで寝坊はするし、日中の眠気は耐えられないし、こんなんで花粉症の薬飲んだら働けんわ!ってことで花粉薬飲んでないんすけど、持ち前の喘息が気道なだけにフル起動してる。ああ、そろそろお迎えくるかも。なんて思ってます。

 

明日、少しこれからのための一歩をまた踏み出してみます。

 

駆け抜けて性春ならぬ。駆け抜けて清酒。

 

オーバーワーク過ぎた2月が終わってしまった。

もう三月だー!とかと言ってる場合ではなく、第一週は棚卸しという一番苦手な作業に追われていた。

追われながらいろんなハプニング発生してもうどうなるんだ!的感情がふつふつと沸騰してなんならもう沸点を超えて蒸発して気体になり、どんどんよりよりな梅雨の空気がまとわりついている。

 

失敗を失敗で隠しても、失敗になるんすね。私の話ではないのだけれども。

 

季節って回り回るじゃないですか。そんな感じでこの湯葉メンタルも

負から正、正から負、負から正、正から負。ぐるぐるぐるぐるぐるなのです。すっごい周期で回り回っております。時期的なものなのでしょうね。明日通院日です。

 

オーバーワークでかなり疲弊しているにも関わらず、帰宅して会話すらできない…あれやってこれやって!働いてたらなんでも許されるわけじゃないのよ!ってどストレートに暴力的言霊ボール投球されました。先週です。飲むべきものを飲み、毎ギターを担いで夜中の田んぼ道をボロい原付きで少しばかり疾走いたしました。ホームラン打ってそのままバット持ったまんま客席に全力疾走してる気分でしたね。なかなかない。

 

多弁である。故にソウキョクの躁である。処方薬ちゃんと飲んでるのにーーーーーー!

 

駆け抜けて性春。というか。駆け抜けて清酒

 

びえん。

 

透けゆく夜の

 

 

女は7の倍数の年齢で体の変化があるとよく言われる。私にしてみれは7の倍数の年齢で物事の分岐点に立つって感じなんだ。今年28になる。うわあ見事にだ、見事に7の倍数だ。

 

そんなことを考えながら海岸沿いで朝日が登るのを待った。とても寒い。寒すぎて眠くならないんだ。丁度いい椅子がわりにしたコンクリートの塊が寒さを倍増させている。

 

少しずつ暗闇が透けていく、あんなに輝いていた星も眩しいくらいのライトの光も太陽の明るさに比べたらほんの小さなものだと思い知らされる。薄く、薄く、透明から、橙色に、そして白く。

 

綺麗なものを綺麗だと言える心はまだあったんだ。

人の悪意も敵意を感じ続ければ染められていく気がしていたし、実際私にも悪意や敵意が生まれていた。けれどこんなありきたりな朝焼けを綺麗なんだ美しいんだなんて儚いんだと思えたことは自分はまだまだまだまだまだ染まっていないことを証明してくれた。

 

 

透けゆく夜のかたすみに残した想いはただ、ひたむきに生きてみたいというひかりでした。

 

雨にも流せない

 

ちょうど日付が変わる頃に土砂降りの雨のなかを原付で走ってた。23日の事。

 

世の中って、社会って、なんでもある。

なんでもある。本当になんでもある。あるある。

 

一生独身貴族を貫くとなると気付いたら出世の道がパカーンって開いちゃうしさ、変な大人はいるし、いろんな言葉にできない感情はもやもやと湿度みたいにまとわりついてくるし、

 

そんなものも結構雨に濡れてても流せん。